(Adnkronos) – ヒズボラの最高司令官イブラヒム・アキール氏に対する「標的型」攻撃は、10月7日に始まったガザ地区でのハマスとの戦争以来、イスラエル国防軍(IDF)がベイルートに対して行った3回目の空爆である。
レバノン首都への最初のイスラエルの空爆は、今年の初め、1月2日に遡り、ガザ地区での作戦開始以来、殺害されたハマスの上級指導者としては初めてとなる。排除されたのは、2017年からハマスの政治局ナンバー2を務めていたサーレハ・アル・アロウリ氏で、エッツェディン・アル・カッサム旅団の創設者の一人であり、2010年からパレスチナ組織の政治局員を務めていた。1966年にヨルダン川西岸地区のアロウラで生まれた彼は、ハニエ氏と共に、パレスチナ運動の指導部がイスラエルへの攻撃のニュースをテレビで祝うビデオに登場していた。
ハマスは、アル・アロウリ氏が、ベイルート南郊外での爆発で、少なくとも他の2人のアル・カッサム旅団の司令官と共に殺害されたことを確認しており、この爆発はイスラエルの無人機によるものとされている。イランとヒズボラの連絡役とも考えられていたアル・アロウリ氏に対しては、米国が500万ドルの懸賞金を懸けていた。
より最近の7月30日には、ベイルート南郊外でイスラエル軍の空爆があり、シーア派の親イラン運動であるヒズボラの指導者ハッサン・ナスルッラー師の軍事顧問であり、戦争作戦の計画と指揮を担当していたフアード・シュクル氏(ハッジ・モフシンとしても知られる)が殺害された。ヒズボラの司令官であり、同グループのナンバー2であったシュクル氏は、マジュダル・シャムスにあるサッカー場で発生した、ドゥルーズ派の子供12人が犠牲になった虐殺事件の責任者と考えられていた。
シュクル氏は、IDFによってヒズボラの精密ミサイル計画の指揮官と見なされており、兵器、精密誘導ミサイル、巡航ミサイル、対艦ミサイル、長距離ロケット、無人機を担当していた。また、1983年にベイルートで発生した米海兵隊兵舎爆破事件への関与で米国から指名手配されており、500万ドルの懸賞金がかけられていた。60歳で、ヒズボラの最年長の軍事司令官だった。